苻堅が南の覇陵に赴いた時、群臣を顧みて「漢祖(劉邦)は布衣(庶民)より身を起こして四海を平定したが、佐命の功臣で筆頭というべきは誰と思うかね」と問うと、権翼は進み出て「『漢書』によると、蕭曹(蕭何・曹参)を功臣の冠としております」と答えた。これに苻堅は「漢祖が項羽と天下を争った時、京索の間において危機に陥り、その身に70を超える傷を負い、うち6,7割が貫通していたという。さらに父母・妻子は楚に捕らわれてしまった。平城の下で7日に渡って火食が出来なかったが、陳平の謀に頼って太上も妻子も危機を脱する事が出来たのだ。さらに匈奴の禍からも免れている。どうして二相(蕭何・曹参)だけが高くあろうか!人狗の喩があると言えども、どうして黄中の言であろうか!」と言った。

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