「ズーム(Zoom)」での講義を終えると、そのまま仕事場として使っている客用寝室で眠りに落ちた。以前から講義は疲れるものではあったが、こんな「昏倒」するように寝入ってしまったのは初めてだという。
「画面上では、自分が小さな四角形の中に押し込められているため、普段よりも感情を大げさに表してしまうのです」
同じような経験をしている人は非常に多く、「ズーム疲れ(Zoom fatigue)」という言葉も生まれた。
人間は、何も話していないときにも情報のやりとりを行っている。直接の対話においては、脳は話されている言葉に注意を払うと同時に、非言語的な手がかりからもさまざまな意味を読み取っている。たとえば、相手が自分にまっすぐ向いているのか、それとも少し斜めなのか、話をしながらそわそわと体を動かしているのか、話をさえぎろうとすばやく息を吸い込んだのか、といったことだ。
一方、ビデオ会議では、言葉に対して継続的に強い注意を向けることが要求される。たとえば、ある人の肩から上だけしか画面に映っていなければ、その人の手の仕草やボディランゲージを見る機会は失われる。またビデオの画質が低い場合は、ちょっとした表情から何かを読み取ることは不可能だ。
「そうした非言語的な手がかりに強く依存している人にとって、それが見られないというのは大きな消耗につながります」
ギャラリービューによる消耗はさらに深刻だ。ギャラリービューでは会議の参加者全員が同じ大きさで画面に映し出されるため、脳はいやおうなしに、たくさんの人の表情をいっぺんに解読することになる。その結果、だれからも意味のある内容を読み取れないこともある。
グループでのビデオチャットでは共同作業性は低下し、一度に話すのは2人だけで、残りの人たちがそれを聞いているという状態になりやすい。すべての声が参加者全員に届くため、同時に別の会話をすることができないからだ。そして話をしているだれかを注視すると、声を出さない参加者がどんな態度を取っているかは把握しにくい。