「劉(邦)・項(羽)が対等でなかったことは、公もご存じでしょう。漢祖(劉邦)はひたすら智慧によって勝利し、項羽は強力であったとはいえ、結局は捕虜になったのです。郭嘉が密かに思料いたしまするに、袁紹には十の敗北があり、公には十の勝利がありますゆえ、軍兵が強くとも手出しはできないのでございます。袁紹は礼法にうるさく儀式も多いのですが、公はあるがままに任せて自然です。これは道による第一の勝利です。袁紹は逆心に基づいて行動しておりますが、公は正義を奉って天下を率いておられます。これは義による第二の勝利です。漢末の失政は寛容さのせいでありましたが、袁紹は寛容さによって寛容さを克服しようとしておりますので、威厳がございませんが、公はそれを糾すのに猛威を用いておられますので、上下ともによく制御されております。これは治による第三の勝利です。袁紹は外見が寛容に見えても内実は猜疑を抱え、人物を任用しながらその人を疑い、信任されているのはただ親戚の子弟だけでありますが、公は外見が簡略に見えても内実は機微に明るく、人物を任用するにも疑うことはなく、ただ才能だけを根拠とし、遠近によって差別されません。これは度による第四の勝利です。袁紹は謀略を立てることが多いものの決断することは少なく、失敗するのは(いつも)後手を打ったのが原因ですが、公は策略が立てばすぐさま実行され、変化に応じて行き詰まることもございません。これは謀による第五の勝利です。袁紹は代々にわたる資産を抱え、高尚な議論と謙譲とで名誉を手にし、士人のうちでも口達者で上辺ばかりを飾る者が多数、彼に従っておりますが、公は丹誠を込めて人物を待遇し、真心を貫いて行動し、虚栄を働かず、うやうやしい態度でもって部下を率先し、功績を立てた者には惜しみなく与え、士人のうちでも忠義公正で高い見識を持った信実の人はみな、お役に立ちたいと願っております。これは徳による第六の勝利です。袁紹は他人が飢えたり凍えたりしているのを見ると、同情の気持ちを顔色に現しますが、彼から見えない部分では配慮が及ばないことがあり、いわゆる婦人の仁というものでしかございませんが、公は目前のささいな事柄ならばすぐお忘れになり、大きな事柄ならば四海まで達し、お与えになる恩寵はみな相手の望んだ以上でして、ご自身では見えない部分でも配慮が行き届き、取り上げなかったことはございません。これは仁による第七の勝利です。袁紹は大臣どもが権力を争い、讒言によって混乱をきたしておりますが、公は道義によって部下を統御され、(讒言の)浸透することはございません。これは明による第八の勝利です。袁紹は善悪を見ても対処することはありませんが、公は善と思われることを礼によって推進し、善と思われないことを法によって更正されます。これは文による第九の勝利です。袁紹は虚勢を張ることを好んで兵法の精髄を理解しておりませんが、公は少数でもって多数に打ち勝ち、用兵は神のごとく、軍中ではそれを信頼し、敵人はそれを畏怖しております。これは武による第十の勝利です」