1653年に済州(チェジュ)に漂流したハーメルは黄金期のオランダ人だった。当時のオランダは世界初の株式会社と証券取引所を持つ国だった。3万4000隻の商船を保有し、世界で最も裕福な国だった。しかし孝宗の朝鮮は、西洋文明を受け入れた清国ではなく、滅びていく明国をもてなす時代錯誤的な国家だった。ハーメルの一行36人を13年間抑留した朝鮮は、最後まで彼らの国籍を知らず南蛮人と呼んだ。

異邦人のハーメル一行は孝宗の御駕行列を輝かせるために行進したり、高官の慶事に酒興をそえるピエロとして日々を過ごした。一方、日本は彼らが脱出してくると、尋問を通じて出身と行跡、朝鮮の軍事・交通・地理・産業・文化に関する詳細な情報をわずか一日で入手した(『もう一度読むハーメル漂流記』、カン・ジュンシク)。

長崎の人工島の出島ですぐにオランダとの関係を開いた日本と、門戸を閉めた朝鮮の実力の差だった。

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