天下三分の計を考えたのは呉の魯粛(ろしゅく)、赤壁で火刑を考案したのは老将・黄蓋(こうがい)、司令官として戦場に立った経験は少なく初めて指揮した5度の北伐(魏への侵攻)はいずれも敗退……。『正史』には、こう書かれている。
「諸葛亮は真面目な政治家。蜀内の食糧調達や法整備などを実直にこなした。だが軍事は不得意だったのだろう。第一次北伐では、劉備が『口先だけの男だから要職につけてはいけない』と評していた馬謖(ばしょく)を重用して大敗。その後も魏の防御を打ち破ることができず、いたずらに出陣と撤退を繰り返した」