ルーズベルトの日米開戦に反対だった共和党の党首ハミルトン・フィッシュは自身のメモに、「我々はハル・ノートについて何も知らなかった。外交委員である自分にさえ彼(フランクリン・ルーズベルト)は知らせていなかった。私はフランクリン・ルーズベルトがこのような要求を日本にしたことを知らなかった。このような要求をしたら、日本が戦争に訴えるのは当然だ。」
そして「私は40年にわたり日米戦争を勉強してきた。そして私は驚くべきことを発見した。誰がハル・ノートを書いたか? アメリカ人でさえ驚くだろう。それはコミンテルンのスパイのハリー・デクスター・ホワイトだった。」とも発言している。
ハリー・デクスター・ホワイトは財務次官補としてハル・ノートの草案(モーゲンソー案)作成に携わり、ソ連軍情報部の協力者であり、ソ連軍情報部と接触し、ホワイトの名にちなんだ「スノウ(snow)作戦」という工作に関係した事が1995年のベノナ文書開示により確認されている。