慕容儁は冉閔を連れてこさせると「汝は下才の奴僕に過ぎないのに、どうして天子を称しようとしたのか」と問うと、冉閔は「天下は大乱であり、汝らの如き人面獣心の夷狄ですら奪逆している。我は当代の英雄であり、どうして帝王になれない事があろうか!」と言い放った。慕容儁はこれに怒り、冉閔を三百回に渡り鞭打ち、その後龍城へ送った。
5月、冉閔は遏陘山において処刑された。すると、遏陘山では周囲七里で草木が枯れ果て、蝗害が大発生した。また、5月なのに降雨がなく日照りが続き、それは12月まで続いた。慕容儁は冉閔の祟りではないかと恐れ、使者を派遣して冉閔の祭祀を執り行い、武悼天王と諡した。すると、すぐに大雪が降ったという。