「才能」という言葉を人はよく口にする。才能だけでやっていける天才という人も、何億人かにひとりくらいはいるのかも知れない。レオナルド・ダ・ヴィンチやモーツァルトやミケランジェロはそうだったのだろう。しかし、やはりそれはきわめてまれにしか現れない特異な現象であって、僕もあなたも、少なくともそんな天才ではなさそうだ。
それでも僕が、(たとえダ・ヴィンチとは比ぶべくもないとしても)少なくとも映画監督という立場を得て、人様の眼に自分の作品を触れてもらえる機会を得たのはなぜか。それは僕が、映画というものに飽きなかったからだ。美しい言葉で言えば、映画に対する情熱を最後までなくさなかったからである。
それしか、僕が他の人に対して優れた点はない。映画を見続け、映画を語り続けて、映画に関わり続けた。そして、そのことに飽くことはなかった。これだけがぼくのいわば「才能」であって、演出とか脚本とか、そういうことについて初めから、特別の才能を持ち合わせていたわけではない。
(押井守『凡人として生きるということ』) (via murlbt) (via suyhnc) (via nagas, breathnoir)
2009-04-29 (via gkojay) (via petapeta) (via hepton-rk) (via puruhime) (via tezcatlipoca453) (via naoahiru)
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