私が一番熱心に読み込んだのが『管子』で、30歳を過ぎて手にしました。読んでいくうち、中国の古典の中でこの本がもっとも凄(すご)みがあると思うに至りました。『管子』は、春秋時代における斉の桓公(かんこう)に、宰相として仕えた管仲(かんちゅう)の言行をまとめたものです。管仲は紀元前720年前後に生まれ、同645年の没とされています。斉の宰相に登用されると、経済政策に注力して富国強兵を実現し、斉を当時の覇王にまで押し上げました。 『論語』『孟子』『韓非子』『史記』にも管仲に関する記述があり、『三国志』で知られる諸葛亮孔明もまた、自身の理想に管仲を掲げていました。
『管子』の真骨頂は、経済政策です。『十八史略』に「管仲、よく国用(こくよう)を会(かい)す」という文章があります。国用とは国の財政、企業でいう財務諸表のこと。会すとは照会・査察するという意味です。管仲は国の財政をよく照会・査察した。この言葉で私は管仲に惚(ほ)れ込んでしまいました。その根本には、「倉廩(そうりん)実(み)ちて則(すなわ)ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱(えいじょく)を知る(生活が安定して初めて礼節をわきまえるようになり、生活が豊かになって初めて栄誉と恥辱のけじめを理解するようになる)」という考えがありました。 戦力も政治力も、経済力に依拠する、という一種の唯物論です。国を富ませ強くするには人民から豊かにしなければ駄目だと言っているわけです。
管仲は度量衡の統一、運河の掘削、塩や鉄の専売制を手がけています。秦の始皇帝による度量衡の統一、隋の煬帝による大運河の建設などは、すべてこの管仲の施策を真似(まね)たものだったのです。