「いつかはクラウン」「いつかは持ち家」といった成長期の神話が完全に崩壊していることを、実は生活者の多くは感じ取っている。自動車を買えば理不尽なハンディキャップを負わされることになるし、背伸びをして家を買えば住宅ローンに縛られてマイナス数千万円の負けから入るような人生になる。日本ではどんな家も買った途端に価値が1000万円下がってしまうし、家を抵当に入れても銀行はまともに金を貸してくれない。法人はまだしも個人の場合、たとえば6000万円で買った家を抵当に入れても、銀行は半分の3000万円も貸さないだろう。資産どころか、住宅は重荷にしかならないのだ。
子供の教育にしても、大学まで出してやるのが親の務めという考え方はもはや通用しない。親の収入が激減して、脛がかじれなくなってきたからだ。加えて大学全入時代になると、大学に入る意味が本気で問い直されるようになる。職能を身につけるためなら専門学校のほうがいいという判断もあるし、欧米のように一度、社会人経験をしてから自分で稼いだお金で、あるいは自分で銀行ローンを組んで、大学に入り直すパターンも増えてくるだろう。しかしその価値のある大学が果たして何校日本にあるのか、という疑問は残る。
気が付いてみたら世の中はすっかり変わっていて、今、一番まともな生活をしているのは高校時代に成績が悪かったタイプだ。身の丈に合った職能を身につけて、等身大の人生を楽しんでいる。一方、高校時代は成績優秀、いい大学を出ていい会社に入って勤めた人ほど、出世競争の無間地獄を味わっている。競争に敗れれば将来の昇進昇給もなく、リストラの恐怖に怯えるだけ。競争に勝ち残っても、膨大な仕事に追い回され、無理して買った郊外の家から往復3時間の通勤で疲労困憊の日々。つまり成長期の出世コースを踏襲して背伸びして生きてきた人ほど、わりを食う時代なのである。
身の丈に気付いた人は車を避け、持ち家を避け、子供の教育に金をかけることにも疑問を感じ始めている。今回の震災で過剰な自粛意識が日本を覆ったのは、実は大多数の国民が自粛して生きることの必要性を心のどこかで感じていたからで、震災や計画停電は単なるエクスキューズにすぎなかったのではないか。
すでに崩壊した成長神話の残滓にすがっている限り、日本人は苦しみ続けることになるだろう。背伸びしても昇進と昇給で追いついてくる、という甘い発想からいかに早く「身の丈に合った」生き方、ライフスタイルに切り替えるか、が問われている
数年前くらいから大前研一氏の言説がマトモになっている。これも真っ当な論。
ちなみに僕のヨメの母は大前氏と大学時代の同級生で、出来の悪かった当時の大前氏を助けて、何度も何度もノートを貸したり勉強を教えたり代返の手配をしたりと、イヤイヤながらもやっていたそうだ。
「調子ばっかりよくて、本当にダメ人間ってカンジだったけれど、弁が立つのよね。だからワタシなどもイヤイヤ勉強の手伝いをさせられたんだけれど、まさかそれだけであそこまで行くとは思わなかったわ。」
[教えて大前先生] 不景気関係なし。「ヒット商品」が出ない理由 大前研一の日本のカラクリ:プレジデントオンライン
(via kashino)