ある時期を境にして、現在のような「他の先進国と比べて小さな企業で働く人の割合が多すぎる」という産業構造が出来上がっていったことがよくわかります。

では、その時期はいつかというと、「1964年」です。

この年、日本はOECD(経済協力開発機構)に加入しましたが、その条件として突きつけられたのが、かねてより要求されていた「資本の自由化」でした。当時の日本では、資本が自由化されれば外資に乗っ取られるかもしれないという脅威論が唱えられ、護送船団方式など「小さな企業」を守るシステムが続々と整備されました。つまり、1964年というのは、日本を「低生産性・低所得の国」にした「非効率な産業構造」が産声を上げたタイミングなのです。

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