一例として、富士山を、同時にAとBが見ている場面を挙げる。本質主義によれば、富士山が唯一の実在であり、AとBは異なる見方で富士山を見ているが、AとBそれぞれの視点における富士山は単に視点の相違にすぎず、実在的ではない。これを自然科学の立場から言えば、富士山の実在は物質的・数理的に説明され、それだけが真である。これに対して、相対主義によれば、我々は常に何らかの視点から見た、主観的な構築としての富士山しか知ることができず、実在的な富士山にはアクセスできない。

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