モンゴル帝国の創設者であるチンギス・カン(1155~1227)が、長男のジョチ(1182~1227)を、現在のシベリア、中央ロシア、東ヨーロッパを征服すべく、大遠征に送り出したことから事は始った。モンゴル戦士の大軍(明らかに10万人を超えており、13世紀としては膨大な数)は、ロシアの公たちの脆弱で兵数も劣る軍を簡単に打ち負かした。
1237年、ジョチの次男バトゥが率いるモンゴル軍がロシアに侵攻する。モンゴル軍は、ルーシ(ロシアの古名)のすべての主要都市――リャザン、コロムナ、モスクワ、ウラジーミル、トヴェリを奪い、破壊し、焼いた。侵略は1242年まで続き、ロシアの地は甚大な打撃を被る。モンゴル軍がもたらした被害から完全に回復するには、ほぼ100年を要した。ルーシ南部とその都市、キエフ、チェルニゴフ、ハールィチも灰燼に帰した。