三国を統一した西晋では「軍司」という表記に変わった。その理由が、西晋建国の功労者・司馬師(しばし=208~255)の存在である。彼は司馬懿の長男であり、西晋の初代皇帝・司馬炎より景帝と諡(おくりな)されている。
古代中国には、避諱(ひき)という習慣があった。皇帝や主君の諱(いみな)は、失礼だから呼んだり書いたりするのは避けよう、というもの。この避諱によって「軍師」の職名も消えていったのではないか、そう考えられている。
代表的な例が「京師」である。もともと中国歴代王朝の都は「京師」(けいし)とあらわされていたが、司馬師の名を避諱して「京都」(けいと・きょうと)と表されるようになった。日本の「京都」という言葉の起こりは、いうまでもなく中国由来。京都が司馬一族や軍師に通じていると考えると興味深くはないだろうか。