山下「歌謡曲の作曲ということで言ったら、僕なんか、いまだに小僧っ子ですけどね。『ハイティーン・ブギ』にしたって、筒美京平さんだったらどういう風に書くだろうって、その一点で考えてますから。『硝子の少年』もしかりで、そういう意味では筒美さんの生徒みたいなもので。
筒美さんがマッチ(近藤真彦)の曲を仕上げていく現場は、かなり見学させていただいてるんです。当時所属していたRCAのディレクターの小杉理宇造さんは僕の担当だったけど、同時にマッチも担当していたので。小杉さんはマッチのレコーディングのプロデューサーで、『スニーカーぶる~す』の演奏を切り張りして、筒美さんが当初書いた曲の進行を変えたと聞いた時には驚きました。温厚な筒美さんもさすがに不満をもらして。今ならエディットという分野の話ですけど、当時はあり得なかった。しかも筒美さんの曲ですよ(笑)。でも、小杉さんは『すいません、先生。けど元のままじゃ、オリコン初登場1位を取れないんで』って」