『週刊少年ジャンプ』創刊編集長の長野規さんという、もう亡くなってしまいましたけど、私の大先輩の方は手帳にね、「10万何千部」というのをちゃんと書いてたの。
10万5千部(※編注:『週刊少年ジャンプ』創刊号の発行部数)。
それを“屈辱の部数”として、ここがスタートだと。
その時は『サンデー』『マガジン』が全部、「作家は『ジャンプ』に描かせるな」って押さえこんでいて。でもその中で本宮ひろ志さんが生まれ、永井豪さんが生まれてきたわけですから。
……そりゃあね、『ハレンチ学園』なんか小学館に持ってこられても、出せないですけど(笑)。