明治元(1968)年、正確にいうと元号が明治に変わる前の慶応4年の5月2日、「大阪府」が初めて設置されますが、そのときの公印には「阪」の字が使われてたといいます。しかし、その後も「大阪」と「大坂」が併用される時期は続き、最終的に「大阪」に統一されるのは、明治20年ごろだとされています。
幕末のころに活躍した狂言作者、浜松歌国の『摂陽落穂集』の中に、「坂」の字は土に反(かえ)るという意味になるので「阪」と書くべきだ、という意味の一節があるそうです。
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明治元(1968)年、正確にいうと元号が明治に変わる前の慶応4年の5月2日、「大阪府」が初めて設置されますが、そのときの公印には「阪」の字が使われてたといいます。しかし、その後も「大阪」と「大坂」が併用される時期は続き、最終的に「大阪」に統一されるのは、明治20年ごろだとされています。
幕末のころに活躍した狂言作者、浜松歌国の『摂陽落穂集』の中に、「坂」の字は土に反(かえ)るという意味になるので「阪」と書くべきだ、という意味の一節があるそうです。