幸宏と教授は、細野さんが年上だという意識はあったと思います。よく知られた話ですが、アルバム『BGM』(81年3月)を作っている時、細野さんと教授の関係はあまり良くなかった。しばらくの間、スタジオで2人が一緒にいることはなかったんです。すると幸宏が細野さんと話して、次に教授と話をして、というように、2人のパイプ役になっていました。でも、次の『TECHNODELIC(テクノデリック)』(81年11月)を作る頃は、また和気藹々と3人でやっていました。

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