チャーチルは、ルーズベルトの実家があるハイドパークを訪れて秘密会談を行い、「ハイドパーク協定」と呼ばれる密約を交わした。
この密約の時点で、ドイツではなく日本に原爆を投下することが決まっていたのである。
合衆国政府に最初に原爆開発を勧めたレオ・シラードは、自分を含めた科学者7名の連名による「フランクレポート」を大統領に提出した。
原爆を無警告で都市に投下するのは非人道的なので、日本人を呼んで砂漠か無人島で原爆の威力を見せつけ、降伏を促せばよいという提案である。
1945年4月12日、ルーズベルト大統領が脳卒中のため急死し、副大統領のハリー・トルーマンが昇格した。
この時点で、科学者ばかりでなく、軍上層部にさえ原爆使用反対の意見が複数あったことから、トルーマン新大統領は、「非人道的兵器」の使用を躊躇った。
しかし、チャーチルは「ハイドパーク協定」の早期実行を要求し、広島が「軍事都市」だという誇大報告書まで作成して、原爆投下を迫った。
最終的にトルーマン大統領は、「非人道的兵器」の使用を認めた。