空軍が目標リストとして「皇居、横浜、新潟、京都、広島、小倉」を提案した。
ノイマンは、皇居への投下に強く反対し、もし空軍があくまで皇居への投下を主張する場合は「我々に差し戻せ」と書いたメモが残されている。
ノイマンは、戦後の占領統治まで見通して皇居への投下に反対したのであって、事実そのおかげで日本は命令系統を失わないまま3ヵ月後に無条件降伏できた。
その一方で、ノイマンが強く主張したのは、京都への原爆投下だった。
ノイマンは、日本人の戦争意欲を完全に喪失させることを最優先の目標として、「歴史的文化的価値が高いからこそ京都へ投下すべきだ」と主張した。
これに対して、ヘンリー・スチムソン陸軍長官が、「それでは戦後、ローマやアテネを破壊したのと同じ非難を世界中から浴びることになる」と強硬に反対した。彼が新婚旅行で京都を訪れていたことも、その反対の一因だったかもしれない。
その後すでに通常爆撃で破壊されていた横浜が却下され、情報不足から新潟が除外された。
最終的に、広島・小倉・長崎の優先順位で二発の原爆が投下される方針が決まったのである。