『ライディーン』について、坂本は2011年、自身のTwitterで誕生秘話を明かしていた。
《【忘れないうちに集団記憶とするため】ライディーンは、録音が終わったある夜、幸宏と西麻布の裏のバーに飲みに行き、幸宏が鼻歌で歌ったものを、ぼくが紙ナプキンに書き取り「明日、これ録音しよう!」と盛り上がったのでした》
対して、高橋さんは《ライディーンはいつも教授がそう言うんだけれど、アルファのスタジオであそこのピアノに向かって初め、Am,Fmaj7っていうキーで考えた記憶があるんだよね。教授が書きとめてくれたのは、中国女じゃない?か、ライディーンのBの部分じゃなかった?》とTwitterに投稿。
その後、YMOの初代マネージャーだった日笠雅水氏が《ライディーンは幸宏さんがお家でキーボードで作ってスタジオに持ってきました》とTwitterで明かしている。